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「愛」の捉え違い

ブログ

2024.08.05

「相手を良くしてあげよう」
それは本当に愛ですか?

相手を良くしてあげようとすることを、

愛だと勘違いしていませんか?

さて 今日は、
最近のクライアントさんから感じた、

よく勘違いしがちな「愛」の
捉え違いについて書いてみます。

~・~・~・~・~・~・~・~・

◆「愛」と「思いやり」の本当の意味

愛は、私たち人間の随所に存在しています。

男女間だけでなく、親子、家族、同僚、上司、部下…。

愛という言葉が大仰であれば、

「思いやり」と思って下さい。

私たちはよく、相手への愛(思いやり)でやってあげてる、と思っていますが、

実はそれが勘違い(大迷惑?!)というケースがとても多いです。

~・~・~・~・~・~・~・~・

◆「相手を良くしてあげたい」
という思いの落とし穴

相手を良くしてあげたい、という思い。

え?
それって愛じゃないの???

という声が聞こえてきそうですが、

これは本質としての愛ではありません。

あなたの「良くしてあげたい」=「よかれ」は、

相手にとって必ずしも良いかどうか分かりません。

例えば、子どもの幸せを願ってよかれと思って、

・レールを敷いてあげたり
・厳しく躾をしたり
(躾は自分の善悪の押し付けです。子どもは本来元々素晴らしいのです)
・心配したり
・世話を焼き過ぎたり…

これらは子どもにとって良いことのように思っているかもしれませんが、

これは実は良いことではありません。

~・~・~・~・~・~・~・~・

◆「相手を良くしてあげたい」が引き起こす問題

例えば、敷かれたレールしか走ったことのない子が、

社会保障が減り、増税や公共料金も2倍に、

AIが人間の仕事を凌駕し…

これからくる未曽有の世界に対応可能な応用力を持てるでしょうか。

躾けも、心配も、世話焼きも、それぞれに沢山の弊害があります。

そして、「相手を良くしてあげたい」は、

エネルギー的にも苦しいのです。

なぜなら、それは相手を変えようとするコントロールだからです。

~・~・~・~・~・~・~・~・

◆相手をそのままで受け入れることの大切さ

相手がそのままでよければ、

「良くしてあげよう」と思いませんよね?

良くしてあげたいと思うということは、

そのままの相手ではよくないと思っている、

そのままの相手を否定していることになるのです。

~・~・~・~・~・~・~・~・

◆本質としての愛とは

「相手を良くしてあげよう」は本質としての愛ではなかった、

ということを今日は知って下さい。

・゜゜・:.。..。.:・’・:.。..。.:*

そのままのあなたでいいよ

・゜゜・:.。..。.:・’・:.。..。.:*

と言われたら、とても嬉しいと思いませんか?

そのエネルギーは、とても安心で心地よいものです。

こう書くと、

「えー?こんなだし、こんなだし、こんなでもいいんですか???」

という声が聞こえてきそうですが(笑)、

それでいいです!

なぜなら、理由があってそうなっているからです。

~・~・~・~・~・~・~・~・

◆相手(自分)を理解し、受け入れることから始めよう

だから、まずはどんな相手であれ(ご自分であれ)、

・頑張りすぎてそうなったんだね
・大好きすぎてそうなったんだね
・怖すぎてそうなったんだね…etc

と、相手を(自分の場合も)分かってあげて認めてあげてほしいのです。

そこから!

なぜ頑張りすぎるのか、

なぜ愛を素直に表現できないのか、

なぜ恐怖に包み込まれるのか…etc、

潜在意識の思い込みを見つけ

そこを整える!!

すると、その問題が根本から治癒します。

これまでに、生き方が全く変わってしまった方々を間近で見せて頂き、

やはり意識が日常を創っていることを実感しています。

~・~・~・~・~・~・~・~・

この話を読んで、少しでもあなたの心が軽くなれば幸いです。

そのままのあなたで素晴らしいのですから、

無理をせず、自分自身を大切にしてくださいね。

弊社では、心が軽くなる!体験型セミナーを定期的に開催しています。

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